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山中カメラ 踊りプログラム日記

大山永祐さん、智恵さんご夫妻1

2019.10.17

本プロジェクトは、日比野克彦×道後温泉 道後アート2019・2020 「ひみつジャナイ基地プロジェクト」の一環で、現代音頭作曲家の山中カメラが中心となり、障がい者や老若男女、外国人等様々な人が出会い、個人と個人のコミュニケーションを重ねながらそれぞれの身体表現を探る。
様々な人を繋ぐインターフェイスの制作、もしくは踊りに特化した共通言語、身体感覚の拡張を探り、多様な人たちが響き合える手法と場を模索し、ともに創り上げる。
最終的には、誰もが一堂に道後に集まり、踊りを楽しめる場としくみを作ることを目標としたプロジェクトです。

 


 

アーティストが障がいのある方と共に作るアート作品は世の中にたくさんありますが、(もちろん全てではありませんが)私は鑑賞後にすごくモヤモヤした気持ちになることがあります。

 

それはアーティストが「作品の為に障がいがある方を利用しているのではないか?」という疑念に駆られるためです。
今回、自分がそのアーティストの立場になるにあたって、そうなることだけは避けようと思っています。
「障がいを持った方」とひとくくりにするのではなく、対個人として真剣に向き合い、コミュニケーションを重ねながら皆さんと一緒に創り上げる作品にしたいと考えています。
(元来人見知りな私にとってはなかなか大変なのですが、誠意を持って挑もうという決意です)

 

そのインタビューの一環で10月17日、
手話通訳の森川さんからご紹介いただいた大山永祐さん、智恵さんご夫婦にお話をお聞きしてきました。

左手前:大山永祐さん、左奥:大山智恵さん、右奥:森川恵美子さん、右手前:山中カメラ

 

手話通訳の森川さんに通訳していただきながら、お二人の生い立ちから、学生時代、お仕事、結婚の出会いなど沢山お話を聞かせていただきました。

 

その中でも印象に残ったのは、

  • お二人が小学生〜高校生の間、ろう学校でさえも「手話」が禁じられており、手話ができる先生さえいなかった事。
  • 手話を知らない小学生の1〜4年生は、ろう学校で身振り手振りで気持ちを伝えることが出来た。徐々に手話を覚えて4年生くらいでマスターした事。
  • 智恵さんは、親御さんの勧めで高校は普通高に進学。もちろん手話が出来る先生も友達もいなかったが、学校の授業は友達にノートをとってもらったり、借りたりして無事卒業された事。
  • 永祐さんは東京で修行の後理髪店を開業。智恵さんは松山そごう(現伊予鉄高島屋)に務め、お二人共普通の方と同じお仕事をされてきた事。

 

そして私が一番印象に残ったお話は
「お仕事をする上で何が大変でしたか?」という質問にお二人が「電話に出ること、かけること」と答えられたことです。考えてみれば至極当たり前のことなのですが、何かとても大きなヒントを頂いたような気がします。
このプロジェクトで、私は障がいを持った人とでもコミュニケーションが出来る「装置/機械」を制作することも視野に入れています。
しかし、人と人が対面さえすれば「表情」「身振り手振り」「筆談」などで「装置/機械」などが無くても、いくらでもコミュニケーションが取れるということです。
永祐さんがお仕事を続けてこれたのも、智恵さんが普通高で勉強が出来たのも、そういったことに「無関心ではない」友人が沢山いたからだと思いました。
様々な機能がついた「装置/機械(電話のようなもの)」を制作することも必要かもしれませんが、人と人との繋がりの仕組みを作ることが最も大切だよなあ。と改めて気付かされました。

 

また、今回は聾の方の中にも「ある周波数のみ聞こえる」という方がおられるという事を聞いたので、「聾の方のそれぞれ聞こえる周波数を記録していき、その周波数を使って音楽を作れば聾の方が踊れるダンスミュージックが出来るのではないか」という仮説のもと、20Hz〜21000Hzのサイン派を生成出来るパソコンソフトを使い、毎回その方の聞こえる、感じる周波数を記録していくことにしました。
大山さんご夫婦は、お二人共全く聞こえないのですが、70Hz〜245Hzで部屋の机などが共鳴、共振して起こる振動を机に触れている手から感じることが出来るという事でした。永祐さんにいたっては振動で高音と低音が聞き分けられるとおっしゃられていました。

 

今回が初めてのインタビューでしたが、今後に向けて大きな気付きを得られたと思います。
引き続き、聾の方へのインタビューを継続していきます。

 

大山永祐さん、智恵さん長時間ありがとうございました。

 

(手話通訳:森川恵美子さん 写真撮影:三好直美さん)